陳氏太極拳協会双月会

~コロナ禍で見た「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」の歌に想いを寄せて~

「山川異域 風月同天」
昨年コロナ禍の中国に運ばれる日本からの支援物資の段ボールにこの歌を見つけました。
(おや?)
と思われた方も居られるのではないでしょうか?

それはこの歌に託された想いと中国と日本の間に流れる長い長い歴史がこの時、現代の私達の目にふれた瞬間でもありました。

今からさかのぼる事1300年の昔ー
第九次遣唐使に託された千枚の袈裟。
そしてその袈裟には
「唐と日本にある山や川は違っても、天には同じ風が吹き同じ月があります。」と先に記した歌が刺繍されていたのでした。

当時日本は未熟で国家の形成期でした。

この時代日本では僧侶は免税の対象だった為お経も読めないのに勝手に剃髪して僧侶を自称する者が出ていました。
鎮護国家を目指す日本にとってこれは由々しき問題でした。

これが社会問題となり、日本の長屋王(天武天皇の孫)は仏教の授戒制度確立のため、唐の高僧を日本へ招きたい。と動くのでした。

そしてその想いは千枚の袈裟と共に遣唐使に託されます。

想いは人を動かし道?(どうせん)や鑑真を動かし日本の授戒制度の確立へ、今日の日本の仏教へと繋がって行くのです。

「唐大和上東征伝」と言う伝記の中に
「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」
「山や川は違えど互いに同じ天をを仰いでいます。これを贈ります どうぞ共に来世で縁を結びましょう。」と刺繍された袈裟を見た事が鑑真に来日を決意させた理由の一つとしてあげられています。

当時唐の僧侶は国の許可無しに出国する事は認められていませんでした。
唐も鑑真程の高僧をわざわざ異国の小国に出国させるはずがありません。

また、当時の遣唐使の生還率は約半分程。黙って船に乗りさえすれば数時間後には目的地に着く現代とは違います。

そんな状況下で自分の命の危険も省みず来日に臨んだ鑑真と第十次遣唐使として唐の地を踏み袈裟を引き継いだ栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)の苦労は計り知れないものだった事でしょう。
 
地位の為でも名誉の為でも無く、お金のためで自己達成のためでもなく、他者を支配する為でもなく、ただひたすらに未来に繋がる自分以外の人々の為に動いた人達が1300年の昔この地に居たのです。

「山川異域 風月同天」

2020年コロナ禍で
1300年の年を経てこの歌が中国と日本の間で再び交わされる事になると誰が想像したでしょうか?

そして「共に来世で縁を結ぼう」と託された「想い」は山を越え天を越えて「時空」をも超えて現代の私達の知る所となったのです。

ニュースの画面ごしにこの歌を見た時、私ははるか奈良のまほろばを想い唐の歴史を思い、さらにこれから先の1300年後の未来に想いを馳せました。

太極拳はどうなっているでしょうか?

日本と中国の関係はどうなっているでしょうか?

私達太極拳を学ぶ者の気持ちは続いているでしょうか?広がっているでしょうか?

個々の身体は朽ちても想いは時空を超えて「共結来縁」繋がって行きますようにと…。

コロナ禍の心情をここに記す
「双月会」竹之内朋子