陳氏太極拳協会双月会

★〜先人の努力を垣間見る「解体新書」〜

「双月会」の活動する久留米市の北へ25キロ程行くと九州国立博物館(以下九博)があります。

実は私は月2〜3回は九博に足を運んでいます。
九博の面白さは行くたびに何か違う発見がある事と日本と大陸との歴史を学ぶ事ができる事かと思います。
さらに自身ではとても手に入れられない国宝や重要文化財などの本物を間近で見る事ができるというのも楽しみなところでもあります。

そんな私が九博の展示で今月(2025年11月)興味をそそられたのは「ターへルアナトミア」と「解体新書」です。

「ターヘル・アナトミア」というのは、『解体新書』の原書にあたる解剖学書の通称です。ドイツの医師ヨハン・アダム・クルムスが著した解剖学書がオランダ語に翻訳されたものです。

「解体新書」というと杉田玄白を思い出される方も多いと思いますが、当初、杉田玄白はオランダ語が得意ではなかった。という事はご存知でしょうか?
実は「解体新書」の翻訳にあたり主導的役割を果たしたのは前野良沢だと言われています。
しかし、解体新書出版時に前野良沢の名前は記載されなかった為杉田玄白の名前のみが世間に知られる事となったのです。

何故、前野良沢の名前は記載されなかったのでしょう。
私はこれは前野良沢の育ての親である宮田全沢の教えと良沢の頑固な職人気質(良沢は中津藩(現在の大分県)の医者である)の為ではないかと考えています。後世に残る間違いのない物を残そうとした前野良沢。

一方杉田玄白は多少の間違いがあってもいち早く西洋医術を世間に知らしめ間違えた所は後世の者を信じ託そうとしたのだと思います。

もともと「解体新書はドイツの医師ヨハン・アダム・クルムスが著した解剖学書がオランダ語に翻訳されたものという事は前記しました。
つまり前野良沢らはこのドイツ語→オランダ語に翻訳された物をさらにオランダ語→日本語に翻訳し直さねばならなかったわけです。
さらに当時は日本には海外からの情報は限られていて(俗にいう鎖国)オランダ語→日本語に翻訳する「蘭和辞典」のような本が無かったのです。

もし自分が前野良沢らの立場で「ターヘルアナトミア」の翻訳するとなったらと考えると途方に暮れると思います。

(え?ちょっと待って。おかしくない?)
北部九州に住む人間なら鎖国とはいえ当時長崎に出島があり阿蘭陀通詞(オランダ通詞)がいた事が頭をよぎるはずです。
(じゃあ阿蘭陀通詞はどうやってオランダ語を学んだの?)

当時の阿蘭陀通詞はオランダ語を文字にする事が許されていませんでした。その為耳で聞いて覚えた、つまり耳コピです。
なので、話せるけれど読めない。書けない。その分幼少より耳で学んでいたというのです。

つまりオランダ語の本はに書いてある事の意味は阿蘭陀通詞でさえ読めない。と言う事なのです。

前野良沢らは「ターヘルアナトミア」を翻訳するのにオランダ語の意味をオランダ語で調べ日本語のどれに当たるのかを考え翻訳したと言われています。もちろん「ターヘルアナトミア」に挿絵が多かった事もあり意味が想像出来た。という事もあるでしょうが、「解体新書」を世に出すのにかかった時間はわずか3年半!
驚異的と言わざるを得ません。

さらにいうと当時の日本の医学は中国から伝わった中医学をベースに考えられており現在使われる「動脈」や「神経」などといった概念すら無かったのです。
その時代にその意味を理解し、言葉を創り出した。というのも驚きです。

太極拳を学び始めたばかりの頃
「眼は神をあらわす」
という言葉に
(ああ、この「神」は神様じゃなく精神とか神経の意味の「神」なのか)
と思った事がありますが、実は中医学の「神」の意味から「神経」という言葉を前野良沢らが創り出したと思うとその思考力のパワーに圧倒されます。

これは前野良沢や杉田玄白らが医学に精通していたからこそ出来た事なのでしょう。

次の世代に残せる物を創ろうとした前野良沢も次の世代を信じていち早く西洋医学を世に出そうとした杉田玄白もどちらにも高い志があった事は言うまでもありません。

この二人を見ていると一つの事に取り組み人々の健康に寄与する姿勢は同じでもその行動にはちがいがあります。

これはまるで現在のそれぞれの太極拳の流派の様です。(太極拳に対する捉え方に違いがある事。けれど太極拳を守りたいと言う想いや人々の健康へ寄与したいと言う想いは同じである事)

「例え流派が違っても互いに違いを認め尊敬し合っている」
そんな話を講話で老師がされていたなぁ。と思い出しました。

前野良沢らがオランダ語を学ぶ事からはじめてた「解体新書」
一単語を理解するたびに手を取り喜び合った事(『蘭学事始』(らんがくことはじめ)による)から比べると老師に日本語で教わっている私達はなんと恵まれた時代にいるのかと思います。(もっと学ばねばと自己反省)

早いもので2025年の「双月会」の寄稿文は今回で最後になります。今年は出会いあり、別れあり。辞められた会員の方もひょっこり顔を出されたり…。
来れるようになったらまたいつでもお越しください。
体験者は来年も変わらず募集中!
どうぞ皆様残りの月も楽しく太極拳を学びましょう。
新年の寄稿文は1月末更新予定です。
では!また!

「双月会」竹之内

2025年10月
2025年8月
2025年6月
2025年4月
2025年2月
2024年12月
2024年10月
2024年8月
2024年6月
2024年4月
2024年2月
2023年12月
2023年10月
2023年8月
2023年6月
2023年4月
2023年3月
2023年2月
2023年1月
2022年12月
2022年11月
2022年10月
2022年9月
2022年8月
2022年7月
2022年6月
2022年5月
2022年4月
2022年3月
2022年2月
2022年1月
2021年12月
2021年11月
2021年10月
2021年9月
2021年8月
2021年7月
2021年6月
2021年5月
2021年4月
2021年3月
2021年2月
2021年1月
2020年12月
2020年11月
2020年10月