陳氏太極拳協会双月会

〜疫病の歴史に学ぶ〜

昨年7月の寄稿文に
「~コロナ禍で見た「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」の歌に想いを寄せて~」という内容を投稿しました。
実は今回の新型コロナ禍であの歌が再度注目を集めた事には九州北部、太宰府近くを活動拠点としている我々にとって感慨深いものがあります。
我々にとって疫病の大流行と言って思い出すのは天平の疫病大流行でしょう。
 
★疫病の流行が735〜737年
★袈裟を託し鑑真来日迄の期間は717年〜753年
つまりどちらも奈良時代の出来事なのです。

天平の疫病大流行では天然痘が流行しました。ある推計によれば、当時の日本の総人口の25〜35パーセントにあたる、100万〜150万人が感染により死亡したとされています。天然痘は大宰府管内である九州北部で735年発生したのち全国に広がりました。
首都である平城京でも大量の感染者を出しました。国政を担っていた藤原四兄弟全員が感染によって病死する事態となります。これはあの袈裟を作った長屋王を冤罪で自決に追い込んだ呪いである。という噂も流れました。737年6月には疫病の蔓延によって朝廷の政務が停止される事態となります。天然痘の流行は738年1月までにほぼ終息しましたが、日本の政治、経済、および宗教に及ぼした影響は大きかったと考えられています。

さてこの奈良時代の政策にはどんなものがあったのでしょう。
★税金(調)の免除
★賑給(しんごう)つまり生活困窮者への米(今のお金と同じ)の配給、貸付
★疫病への看護、蔓延を防止する為の方法の告知です。

ただこの蔓延防止の為の告知には医療的根拠の乏しい内容も含まれており、未知の疫病に混乱しながらも打開策を模索していた新型コロナ発生時の現代社会と通じるものがあります。
これをみるとつくづく歴史は繰り返すのだと思います。

疫病の大流行(735〜737年)で農民は土地を捨て農耕を放棄、日本各地に散らばりました。それがまた疫病蔓延の引き金になったのです。農耕放棄で穀物の収穫も見込めない事態で、この時期は疫病蔓延と飢饉が重なった時期でもあります。
天然痘の終息から数年後には、疲弊した農業生産性を高める為、農民に土地の私有を認める「墾田永年私財法」(743年)が施行されています。

そう疫病の流行は社会のシステムや価値観を大きく変える時とも言えるのですね。

2022年2月は新型コロナ(オミクロン株)第六波の真っ只中にあります。
歴史をみれば現代の私達の生活も新型コロナの発生から混乱→対策→疲弊を経てやがて終息へと向かう事でしょう。
疫病の流行を受けての社会システムや価値観の変化、現在社会ではどの様に変わってきているでしょうか?
少なくとも根性論で多少の発熱があっても会社に出てこい。という風潮はなくなりました。
新型コロナが日本で発生した2020年は政治家の方々のウイルス抑制政策は上意下達により私権や就労の権利を考慮せず抑え込む事のみに基準を置いていた気がします。
しかし2021年ウイルスを抑え込むのみでは国民の生活は守れない。上からの一方的な発信ではいけない。国民の意見に寄り添い受け止めねば。と、徐々に感染対策と経済の維持を打ち出し始めました。
このことは、『就業を含めた私権の制限を最小に留める』という感染症対策の原則からみても当然の事だと思います。

社会を見渡せばウイルスの恐怖を煽る発信も耳にします。
人は弱いものでつい不安や恐怖で根拠の無い発信に押し流されてしまいそうになります。
そんな時こそ、その情報は信頼出来る発信元か自身で確認しなければなりません。

これから先、会社や組織も上からの考えを下に伝える上意下達のみでは無く組織の中で下からなの意見を吸収する下意上達により情報の共有と合意が求められる社会となってゆくのだと感じています。

「双月会」でも少なからずコロナの影響を受けました。けれど会員の皆様とは常に情報を共有しお互いの思いやりと協力のもと「会場が使える状況であれば練習をする。」という合意の上活動を続けております。

これからも「双月会」の会員の皆様と共に感染対策をしっかりとして楽しく練習を継続できる事そして一日も早くマスクの要らない生活に戻れる事を願っております。

「双月会」竹之内