陳氏太極拳協会双月会

〜制定拳と伝統拳〜

『これから書く事はあくまで個人の考えであり、個人、団体、或いは政策といったものに対する批判の意図はない事を記しておきます。』

太極拳を学ぶ上で「制定拳」と「伝統拳」の違いを感じた事のある方も多いかと思います。
「制定拳」とは俗に言う二十四式太極拳の事です。
「伝統拳」は陳氏太極拳を始め楊氏、呉氏、武氏、孫氏などの中国本土に古くからある太極拳です。

私は陳氏太極拳小架を学んでいますが、太極拳のスタートは制定拳でした。制定拳では「太極拳は健康体操である。」と言い、陳氏太極拳では「意念」や「武功」などの重要性を説かれます。

同じ「太極拳」と言いながらこの違いはなんなのでしょう?

こういった事を考える時、その歴史的背景や社会情勢などを調べてみると何かわかるかもしれません。

制定拳が出来た1956年辺りの中国はどの様な状況だったのでしょうか?

1949年中華人民共和国成立

1956年政府主導で大衆向け体育教材として制定拳二十四式が発表されます。

中華民国から中華人民共和国へ。
建国後数年で発表された二十四式。ここから分かるのは二十四式太極拳は国家成立後すぐに作り始められたのであろう。ということです。

中国政府は二十四式の普及体制を取って高校や大学の授業でも教えられる様にします。
そして文化外交、文化交流としてこの二十四式を用いて行くのです。

1958年 大躍進政策が始まります。
そして大飢饉
 
1966年 文化大革命が始まります。
このころは紅衛兵(こうえいへい)によって中国の文化や伝統が否定され弾圧されていた時代です。伝統太極拳にとっては不遇の時代と言えるでしょう。

日本と中国の国交回復は1972年です。
当時、中国は文化大革命の最中であり、自国の文化伝統を否定していた時代です。
これを見ると中国国家の後押しで各国との文化交流に用いられた制定拳を「健康体操」と位置付けたのも頷けます。

やがて文化大革命も終わり社会的に伝統や文化の重要性を再認識されます。なので伝統を受け継ごうとする人々と健康体操としての発展を遂げた制定拳の二極化の流れが出来たのかもしれません。
私達からすると自国の伝統文化を否定するなんて。と思われるかもしれませんが実は日本にも同じ様に自国の伝統や文化を否定した歴史がありました。

明治維新直後、同じように国の政策により大相撲は存亡の危機を迎えます。社会の急速な欧化、ちょんまげは文明開化に逆行する前時代のものとされます。
さらに法で裸が旧時代的で野蛮なものとして禁じられ、これらのことから「相撲禁止論」まで叫ばれるのです。

そうした状況の中、天覧相撲が催されます。現代でも皇族がスポーツをご覧になるとそのスポーツの国民人気が高まりますが、同じく明治天皇が相撲をお好きであった事、ご覧になった事などから相撲擁護の国民の気運が高まり、紆余曲折を経て大相撲は現在に至ったのです。

これらの事から伝統や文化と言うものは歴史の中で、社会情勢、政治的流れ、環境や気候などのきっかけで存亡の危機を迎えるという事はどこの国でもあり得るのだとわかります。
太極拳もそうした先代の方々の努力があった事を忘れないでいたいものです。
今こうして伝統拳を学べる事に感謝を忘れにずに学んで行きたいと思います。

「双月会」竹之内朋子