陳氏太極拳協会双月会

〜太極拳と合気道〜

太極拳をする者として日本の武道を見た時に、太極拳と近い円のイメージを持つ武道がいくつかあります。その一つが合気道です。

「合気道」といっても現在の合気道は植芝盛平開祖の開かれた合気道だけではなく多くの団体、会派に分かれています。養神館 心身統一 気の研究会 養正館 昭道館 万生館 親和館 練身会 岩間流 などなど

これらの合気道会派は教え方の違いはあっても求めている所は植芝盛平開祖の説かれた「武産合気」(たけむすあいき)つまり、技を修練して攻撃の形態を問わず自然に身体が合気道として動く状態を目指しているように思います。

これは太極拳の五遍拳の段階「動けば全て太極拳」と考えが似ているとは思いませんか?

中には直線的に捌きを教える流派もありますが、それらもレベルが上がるにつれアニメーションのセル画が増えるように動きが円に近づいて行きます。

YouTubeで多く合気道の技があげられていますが、合気道上級者が繰り出す技は全て同じ動きをしているわけでも無く個人差もあって見ていて飽きることがありません。
これが太極拳で言う個性なのかも知れません。

私は太極拳を始めた頃(太極拳ってマスゲームみたいだ)と思った事がありました。
つまりみんなが同じ形で手の位置、足幅、腰の高さ、目線など全て決められたマスの中に自分を収めていく。そんな感覚です。

ところが伝統拳(陳氏太極拳小架)を学び始めてそれが違うのだと言うことを知ります。
実際、沛山老師が講習会の時に、「皆さんは姿勢や形など太極拳の動きに関して私が細かく注意をするのでうるさく感じられる事があるかもしれません。しかし、こういう細かい注意も最初だけです。基礎が出来たら段々と縛りはうすくなっていきます。上手くなればなるほど自由です。足を前に出すのか。うしろにだすのか。定式の回数が何回なのか?など実はどうでも良いのです。太極拳は上手くなると個々の持つ個性が表にあらわれてくるものなのです。」
と言うお話しをされていました。

また、陳氏太極拳の練習で言えば一つの技にも別法があります。
合気道の技にも「入り身三体」など「入り身投げ」という技にも多様な捌きがあります。
これは太極拳でいう別法だと思うのです。
全く違う武道武術なのに基本的な考え方が同じなのはおもしろいですよね。

日本の武道で使われる言葉の中に「守破離」と言う言葉があります。
先生の教えを守り身につけいずれはそれを破り自立独立して更に学んでいくという意味です。これが先に述べた合気道の会派の多さにつながっているのではと考えています。

前に沛山老師が日本に来て隣りで合気道の稽古をしていて心を動かされた事として指導者が門下生と一緒に稽古をし、受けを取っていた事。と話されたことがありました。
なんでもそれまで自分は指導者であり門下生と同じ練習をする立場にはない。と思われていたそうです。
ところが合気道では指導者も門下生と共に受けや仕手をしている事に心を動かされた。というお話しでした。 その日は確か推手の講習会だったと思いますが、沛山老師も同じ様に技を掛けたり掛けられたりされておられました。

ある時合気道の開祖の監修された本を読みました。
その中に開祖が中国での武の修行があり、その経験が自身の糧になったと記載されていました。
なるほど、どうりで準備運動に「甩手」があったり「臂力」などと言う言葉があるわけです。

守るべきは守り互いを尊重し、自分の感覚と向き合いつつ、学び取り入れる柔軟性とバランス感覚。
そんなものを感じます。

合気道の動きは円の体捌きとその勢いにのって崩す技、しかも、相手にかける技が一教、それがダメなら二教、それもかけられなければ三教と何度も変化にとんだ技をかけ続けることが出来るというのも私にとっては太極拳の推手を連想させました。

武道武術は長い歴史の中そこに生きた人々が同じ様に学び高めてきたものなのだなぁ。と思うひと時でした。

「双月会」竹之内 朋子