陳氏太極拳協会双月会

〜「腕」について考える〜

太極拳をしていると多くの者は身体のコントロールについて思考を巡らします。

特に腕の動きは
「根節中節末梢」
「手先ではなく肩甲骨から」
という事を意識しますね。

今回は一般的に考える「腕」と太極拳で言う「腕」の違いやそこにある「骨」または「関節」その「機能」について考えてみました。

一般的に「腕」と言ってイメージするのは多分「自由上肢骨」だと思います。

自由上肢骨とは
上腕➕前腕➕掌
の事です。

一方太極拳でいう「腕」とは「上肢骨」の事だと考えています。

上肢骨とは先に述べた
自由上肢骨➕肩帯(肩甲骨➕鎖骨)
の事です。

因みに肩帯は上肢帯と呼ばれる事もあります。いつか機会があれば骨盤についても書いてみたいと思いますが、骨盤から仙骨(骨盤の真ん中の骨)を除いた寛骨の事を下肢体と呼びます。 太極拳の句訣に「上下相随」というものがありますが、上肢帯と下肢体はお互いに呼応する関係にあると考えられるでしょう。

さて今度は腕の関節について書いてみましょう。

腕に含まれる関節は色々な種類があります。これは腕の関節の構造からもご理解いただけると思います。

例えば
肩は「球関節」
肘の「蝶番関節」、「車軸関節」
手首の「楕円関節」
手根骨の「平面関節」
指の「蝶番関節」
指の連結部は「軟骨性連結の関節」
親指の連結部は「鞍関節」
他にも肘を3つ以上の骨からなる「複関節」と捉える事もできますね。

書き出していても
(こんなにも多くの種類がこの腕という場所に集約されているのだ)と改めて驚きます。

これほど多くの関節を私達は普段何気なく使い分けているのですね。

つくづく人間の身体というものはよく出来ているものだと思います。

骨で言うと、
上腕骨一本
前腕骨二本
手骨に至っては二十七本
と自由上肢骨だけでも三十本もの骨を有しているのです。

上腕が一本なのに対して前腕の骨が二本なのは何故でしょうか?
これは尺骨は肘の屈伸運動(曲げ伸ばし)を、橈骨は回内回外(腕の捻り)を担っているためでもあります。
その他にも圧力の分散、動脈などの機能の保護などもあげられます。
(つまり前腕に動脈性の出血が見られる時には直接圧迫止血法は効果が無い。(橈骨と尺骨の間を動脈が通っている為直接圧迫をかけられない)関節圧迫止血法を用いる必要がある。という事です。)
また肘関節は一方向にしか曲がる事が出来ませんが、肩甲骨や肩関節(関節窩)の動きによりまるで
※「肘が後ろに曲がったような動き」をする事も可能です。

※披身捶の左肘のような動き

身体の動きを一つの関節だけで考えるのではなく複数の関節の動きの連動で一つの関節では出来ない多彩な腕の動きを可能にし、人の動きのバリエーションを広げている事に気づく時、人体の歩んできた進化に感嘆するしかありません。

次に掌について述べてみましょう。

二十七本。何故掌にはこれほど多くの骨が存在しているのでしょうか。

人の身体だけではなく生物の身体を観察すると生存の歴史の過程で最善と思われる進化を遂げていることに気づきます。ですから掌も必要とされる過程の中でこの骨の数になっていると言えます。

今現在「掌」について書き始めて私は心の中で
(しまった!)
と反省モードに入っています。
今回、腕でまとめようと思った寄稿文ですが、「掌」だけでも骨格、関節、用途、意識など書き出したら終わりがない。と今更ながら気づいてしまいました。

なぜなら「手」は単に「動く」と言う目的をなすモノとしてだけではなく、人類に文化的にも芸術的にも多くの進化ををもたらした器官である事は誰もが認識している所だからです。
もっと言うと心理学でも手には人の心理が表れる個所としてよく知られています。
社会生活の中でも例えば選挙ポスターなどに拳を写り込ませる事によって立候補者のやる気や意気込みを表現していたり、立ち入り禁止の地域に掌を大きく見せたポスターが貼られていたりもします。
言葉や文字では無い手から溢れ出す意識や表現が存在するのです。

随分前の事ですが、推手をしていた時に相手の指先が私の印堂(いんどう)(眉間のツボ)を狙っていると感じただけで威圧感や心理的作用がかなりあったと記憶しています。
つくづく武道、武術ではこう言う相手への心理を巧みに利用して行われる動きも多くあると気づきます。

簡単にまとめると掌は骨が二十七本も必要とする程複雑な動きが出来る。と言う事なのです。
(嗚呼、なんて大雑把な…(嘆) いつか掌だけでまとめたい。願望)

普段我々は掌で複雑な作業をする目的で自由上肢骨利用しています。腕や肩甲骨は掌を目的物に到達させるための補助器官として用いる事が多いのです。
掌の仕事が目的で腕肩甲骨は補助という感覚です。
しかし、太極拳においては肩甲骨を動かし、腕を動かし、結果として掌指先がそこに至る。と言う逆の意識の順番になる。と言うのが面白い所です。
人の意識というものはおもしろいもので、つい普段の思考の順に太極拳をして指先の意識が先行してしまいがちになります。
それをもう一度土台から作り直す感覚で意識を変えて行くのもまた太極拳のおもしろいところなのかもしれません。

こういった身体への興味も太極拳をやっていたからこそ生まれたものだと感じています。

当たり前だと思っていた事や意識の向き方に改めて立ち止まり思考出来るのも太極拳に出会ったからこそですね。

太極拳を始めてずっと自分の身体を思い通りにコントロールしたい。
と思い続けてきました。
ところが、私は、ある時「コントロールしたい。と思いながら、コントロールする対象物(身体)の事を何も知らない。」
と気づいたのです。
身体とはまだまだ知らない事の塊。
まさに小宇宙です。
そんな身体を太極拳を通して少しでも理解出来たらおもしろい。
そうは思いませんか?

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「双月会」竹之内朋子