現代、「武道」と聞くと「空手道」「剣道」「柔道」「合気道」などといった日本の武術を連想してしまいますが、本来「武道」と言うものはある種の倫理観や武士としての生活の規範となるような「武士道」の様なものを指していたのだと考えます。現代のように柔術、剣術を「道」と言う言葉を使って表現する様になったのは近代、明治中頃からでしょう。
これは明治維新の価値観の激変の中、それまで単に技術のみの習得を目指していたところから、人としての生き方、倫理観をも含めて社会に対して存在意義を求めた所から使われる様になったのではないでしょうか。
今回取り上げる人物は講道館柔道の創始者「嘉納治五郎」氏です。
嘉納治五郎(かのう じごろう)氏は万延元年10月28日(1860年12月10日)生まれで 昭和13年(1938年)5月4日に没しています。(この辺りは「太陰暦」から「太陽暦」への転換期を含むための違いがある事をご理解ください)
嘉納氏は明治から昭和にかけて日本におけるスポーツの道を開き、「柔道の父」「日本体育の父」とも称される教育者でもありました。
日本の武術は、文明開化の流れのなかで衰退を余儀なくされた時期があったことは以前にも寄稿文の中で触れたことがあります。
私は日本の社会的情勢や風潮、習慣や風習の激変の中で嘉納氏が、一つの武芸武術だった柔術を武術としてのみならず人間の育成、更に「柔」を通して社会に貢献する事を説いたその手腕、人間力は現代の私達にも学ぶことが多いと考えます。
嘉納氏は、柔道では、4つのことが重要だと説いておられます。
それは「形」と「乱取り」そして「講義」と「問答」です。
稽古を通して出てきた疑問や問いを解決するのに必要なのが、「講義」と「問答」だと言われていました。
柔道の師と門弟はこの「講義」と「問答」によって身体のみならず心も育て人との繋がりを強くして行く。さらに柔を通して社会にも貢献し、社会そのものを底上げして行くという視座の広さ高さには本当に驚かされます。
さて、現在の太極拳のお話にシフトしてみましょう。
今指導員資格を有しながら実際には教室を持たない。持てない。
開けない。と言ったお話を耳にします。会員から指導者になる所に滞りがあるのであればそこには何かしらの問題点があると考えなければなりません。
これは
★個人の課題
★組織のルール
★社会的構造
が絡んでいると考えられるのではないでしょうか?
個人の課題となるのは
技術、知識、話術、コミニュケーション力など様々にあると思いますが、何より「自分は指導者としてやれる。やっていける」
と言う自信(己を信じる心)なのではないかと思うのです。
しかし、この自信を育てるというのは個人のみの力で作れるものではありません。
嘉納氏はこの「問答」によって門弟の理解度を上げ指導者もまた門弟から教わるのだとも言っています。
最初は稚拙な質問から徐々に深い質問にも答えられる様になる事で門弟の自信に繋がって学び手から指導者へと成長していくというのです。
太極拳の世界では、時に行き過ぎとも思える指導者に対する忖度や指導者絶対と言ったような姿勢を感じる事があります。これでは教える者と教わる者という格付けを固定化してしまい、学び手は何年経っても教わる側の域を出る事が出来ません。
また、練習中に新人に対する熟練者のアドバイス(指導)を禁止するというのも見受けられますが、アドバイス(指導)の経験がなければ会員はいつまでたっても学ぶ側であり「教える」という経験がないままで、それを超える成長には繋がらないと考えます。
一般的に「教える」と言う事を生業にしている方々を見ても学び手から突然指導者になったのではなくその間には「教える事を学ぶ」期間が設けられます。私はその期間が足りていないのでは無いかと考えているのです。
勿論学び手側にもマナーはあり指導者の教室で指導者を無視して指導にあたる行動や言動は慎まなければなりませんが、この世界の発展のためには指導者は学び手に対して指導者になる為の学びの機会を与えていく事も必要と考えます。
以前知り合いのエアロの指導者が「教室に身勝手な振る舞いで皆の練習時間を奪う会員がいるのだが、どうしたら良いか?」
と言う「問」を上の指導者に投げかけた事がありました。
すると上の指導者(こちらも私の知り合い)は即座に回答します。
「教室を担当しているのは貴方なのでしょう?その場のコントロールが出来ていないのだとしたらそれは場を乱す学び手の責任ではなくコントロール出来ていない貴方の責任だと思いますよ。」
と…。
更にこの上の指導者はその対処法をどうしたら解決出来るかを考えさせ導いた後更に言います。
「貴方なら出来る。もっと自信を持ちなさい。」
「また聞きたいことが出来たらいつでも質問して。大丈夫!」
と質問者の肩を叩くのでした。
質問した指導者も「はい!」と返事をしてまた新たな気持ちで指導にあたっていました。
後にこの質問した指導者は
「困った時はいつでも相談に乗ってくれる安心感がある。」
と言い、
上の指導者は
「学び手から指導者へと成長して行くのがわかる。今後が楽しみだ」
とお話をされていて2人の人間としての繋がりと信頼の絆を見た思いでした。
嘉納治五郎氏は柔道での「講義」や「問答」の衰退をを憂慮されていたとも聞きます。そして「問答」の衰退は指導者の責任であるとも…。
「双月会」は会の立ち上げから会員の力で出来上がった会です。
その為指導者が絶対的な者でもなく練習の中で皆で問答し、お互いアドバイスをし合っています。
そんな時誰も嫌な顔をせず素直に聴ける人間としての懐の深さやお互いの関係性が素晴らしいと思っています。
個人の課題と組織のルール、更に社会的問題としては公共施設ではなかなか指導者主体では教室が開けない。また指導者登録をしても実際の指導経験を問われ指導経験の無いものには指導する機会すら与えられない。という問題もあります。この辺りからも組織として会員に指導する機会を与える大切さが伺えます。
今回は嘉納治五郎氏のご紹介を通して太極拳を普及して行く為の思考を述べてみました。
「双月会」はいつでも新しい会員、体験者を、歓迎いたします。
ホームページをご確認の上気軽にご参加ください。
ではまた!
「双月会」指導者 竹之内朋子