陳氏太極拳協会双月会

〜「手」を考える①〜

以前(2022年11月)寄稿文に自由上肢骨のお話を載せた時
「ダメだ!まとまらない!」
と匙を投げてしまったのが「手」です。

「いつか「手」だけを題材に寄稿文を書こう。」と思って来ましたが、「手」というものはあまりにも複雑で外形や筋肉、関節、骨、作り出す文化、芸術、心理、脳との関係、またはその機能について。と、こんな妄想(笑笑)をしていたら着地点がとんと見えないまま歳月は過ぎてしまいました。(汗)

そんな訳で、色々な側面を持つ「手」ですが、そこから今回は「手話」を通しての経験や感じた事を書いてみたいと思います。

「手話」は主に耳の聞こえない聾者(生まれつきもしくは言語習得前に聞こえなくなった人)や中途失聴者(言語習得後に聞こえなくなった人)が言語として用いています。

言語として用いられるようになったのは手が多くの形を作り出す事が出来るからです。
昭和の時代には珍しかった手話も、今では地域ごとに講習会があり、講演会やTVでも通訳の人を見かける様になりました。
私は日常的な会話ならなんとか話せる読み取れるレベルで手話を使えますが、聾唖者のハイスピードな手話の動画を読み取るというのはなかなかにきびしいものです。
コレは健聴者で手話を学ぶ人あるあるなのですが、超ハイスピードの聾者の手話を動画で読取るとなるとまず
( ゚д゚)
(早すぎて全く読み取れない!)
となります。
手話というのは僅かな違いで意味が大きく変わってきます。
例えば指の使い方で言えば立てている指が小指なのか?親指なのか?(女?男?)ピンと立っているのか?曲がっているのか?(若人?老人?)と言った具合です。

なので読み取れなかった時、さらに同じ動画をもう一度見返しますが、その手がどんな風に形を取っているか?と言うところを目を凝らして見ようとしてしまうのです。
そして益々分からなくなるのですね。笑笑

ある時ベテランの手話通訳の方とご一緒した時、手話を読み取る秘訣をうかがった事があります。
するとその方は
「手のみに集中し過ぎない事」
とアドバイスをくださいました。
通訳の方曰く聾唖者を広い視野で全体的に捉える。
と言うのです。
これは手話の表現は手だけで行われているものでは無く、実は空間の活用(どの位置でその表現をしているのか)や表情の使い方視線の向け方を手の形と同時に読み取れなければ言語として成立しない為です。

(あれ?この視野の使い方は…)
と気付かれた方もおられる事でしょう。
そうなのです。
武道や武術での視野の使い方とよく似ているとは思いませんか?
武道や武術で多人数を相手にする様な時、攻撃してくるのが相手の「手」であっても
「手を見てはいけない」
と言う注意を受けます。
何故なら手を注視してしまうとそこに焦点があってしまって周りが見えなくなるからです。
以前
「視野は広く持ちなさい。出来るだけ広く…。特に多人数掛の時はそうしないと判断を誤る。」
とアドバイスを頂いた事がありました。
また、相手が武器を持っている時にも
「武器を直視してはいけない。恐怖で動けなくなる。視野を広く持って相手の攻撃は気配で感じなさい。」
と言うアドバイスを頂いた事もあります。

武道武術での視野の使い方は実は手話の読み取りに通じるものがあるのだという意外な経験でした。

今回は「手」から「手話」そして読み取りにおける眼の使い方に話を飛ばしてみました。
いかがだったでしょうか?
不思議なもので全く違う事をやっているのにある時そこに共通点を発見して驚く事が多々あります。
そんな発見も人生を楽しませてくれるエッセンスだと感じます。

「手」についての寄稿文。次には(いつになるかわかりませんが、)「手」の骨についてとか筋肉についてとか機能についてとかまとめられたらいいなぁ。出来るかなぁ。
とちょっと不安に感じつつ今回は締めたいと思います。

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「双月会」竹之内朋子