当たり前と思っていた生活が病により一変する事というのは突然やって来て、そういう時は本当に空気が地球上にあることさえありがたい。と手を合わせたい気持ちになります。
「双月会」の会員の中にも病気を患われて休会されている方がおられます。時折グループLINEに近況を載せ病気を一つの学びの機会と捉えていつか「双月会」への復帰を願うコメントがあがりました。
その後の会員のみなさんの温かい励ましや労りは彼女の心に響いたことでしょう。
今回私も家族の病気でしばらく大学病院と家を行き来する日々を過ごしました。
「病」と言うものが身近にあるとそれまで気づかなかった社会の一面を見ることになります。
今回はそんな病院で気づいた社会の流れと人間の努力によって変わって行く未来への希望のお話しをしたいと思います。
大学病院での手術。
朝8時過ぎには病院に到着。
手術を受ける家族と共に手術室前まで行き
「じゃあ。頑張って!」
と見送ると私は手術室側の家族控室へと向かいました。
ドアを開けると入口に鍵付きロッカー 水道 電話そして複数のテーブルとそのテーブルを挟む様に3人掛けのソファが左右に一つづつ置いてあります。テーブルだけでも4つくらいあって中は広々としていました。私はその部屋に一番乗りでロッカー裏のテーブルのソファを陣取りました。
『手術時間は6時間ほどでしょう。」
と主治医の説明を受けていた私は今日一日をここで過ごすことになるだろう。とテーブルの上にバッグを置きました。
その後、他の手術を受ける人の家族も続々と入って来られて各々テーブルの周りに腰を下ろしました。
(こんなに同時に多くの手術が行われるのだ)
と少し驚きもしました。
私の隣のテーブルには高齢の男性が1人。その1時間後位に他の親族が4人合流して話しを始めました。
隣の30代と思われる女性2人が
『手術、何時間くらいかかるかなぁ』
『5〜6時間ってところじゃない?』
2人は指で表情で会話を繰り広げて行きます。
(°_°)
(手話だ!)
私はちょっと驚きスマホをいじっていた手を止めました。
2人はそんな私に気づくことなく雑談をしています。
その2人の他に高齢の女性と男性が2人ソファに座っていますがこの3人は健聴者で言葉を発して会話していました。
高齢の健聴者3人と聾者2人が隣のテーブル。その隣に私は1人で座っている状況です。
しばらく経つと隣のテーブルで高齢の女性と男性が一旦家に帰る。と言って席を外しました。
残されたのは聾者2人と高齢男性…。
私は
(この3人はどうやってコミニュケーションを取るのだろう?取れるのだろうか?)
と心配になって来ました。
すると、
老人「おい、カードどうした?」
と聾女性に話しかけます。
私は思わず顔を向けました。
日本語というものは主格を明確に言わない事が多い特性があります。突然「カード」と言われてもそれが何のカードの事なのか伝わらないという事は健聴者同士でもよくある事です。
それらを理由に健聴者と聾者の意思疎通が思う様にいかない。というのは容易に想像できるでしょう。
私はチラリと聾女性の方を見ました。
聾女性『え?カード?何の?車?」
首を傾げて尋ねる表情とくぐもった声で意思を伝えました。
老人「そう。車のカード。持ってる?」と発語します。
聾女性は手を振り持ってないよ。向こう(指差し)持ってる(手を握る仕草)
で会話が成立していました。
すごい!
(°_°)
私は高齢聾者とは手話の会でたまにお話する事がありました。昭和の時代の教育は聾者にとっては中々に厳しいものだったと聞いています。
戦前戦後の社会の中では聾者が家族にいるというだけで偏見の目に晒されたり、聾者が親族に居る事を理由に破談になったりする事もあったそうです。
なので昭和の時代には聾者がいる事をひた隠しにして蔵の中に閉じ込め一切教育を受けさせない。という事もあったと聞きます。
この様な理由から高齢聾者の中には文字も書けず手話とは言えないジェスチャーに近い手話をされる方もおられました。
ところが今隣に居る30代と思われる聾者2人は唇の形を読み取り、発語し、健聴者とコミニュケーションが取れています。
私はこの2人の聾者がどれほどの努力で唇の形を読み取り、発語習得したのか…。聞いたことのない言語の発音の習得に費やしたであろう努力の日々を想像せずにはいられませんでした。
しばらくすると隣のテーブルでどうしても意思の疎通が出来ない事態が発生しました。
手話を20年程学んだ経験がある事から(通訳するべきか…)
と一瞬考えたその時です。
聾女性はスマホを取り出すと自分の意思をスマホに打ち込みその画面を老人に見せました。
すると老人はニッコリ笑ってこちらもスマホに自分の意思を打ち込み聾者に見せてコミニュケーションが成立しています。
(おお!すごい!こんな時代になったのだ!)
私は以前地元の市で手話通訳者として、また要約筆記者として活動していた時期がありました。
手話通訳は健聴者と聾者の橋渡し。
要約筆記者は難聴者や中途失聴者と健聴者との橋渡し。と思って頂けたら良いでしょう。
平成の当時聾者には手話通訳者が必要。難聴者には要約筆記者が必要だといわれていました。
しかし、この10年で社会は大きく変わりました。
平成の時代、講演の内容を要約筆記者が手書きやパソコンで伝えていました。人海戦術です。
ところが今はスマホでボタンひとつで簡単に音声入力ができる様になりました。
同じく聾者にも平成の時代「通訳者が足りない」とよく言われたものでしたが、令和の現在は教育と個人の努力、そして技術革新で人の助けなどほとんど必要としなくなっているのだなぁ。
と感じた出来事でした。
たとえ今困難の中に居るとしても、未来は変わって行くのを感じます。
それは思っているよりも早くやってくるかもしれません。
人々の努力や技術革新によって。
今病で苦しんでいる「双月会」の会員にもそれが訪れる事を願わずにはいられません。
そういった新しい未来が来ると願って今回の寄稿文となりました。
「双月会」ではこれから10年後も変わらず太極拳を学んでいたいと思っています。
現在「双月会」は会員募集中です。
水曜日午後1:15〜
体験者募集中です。
お気軽にお越しくださいね。
ではまた!
「双月会」竹之内
補足
★聾者の発声
ドラマの影響もあり、聾者は話せないと誤解されている方も見受けられますが、聾者とは耳が聞こえない人であり声帯、発声する能力に問題があるわけではありません。ただ聞いたことのない言葉を発声するためには相当の努力が必要です。
★聾者と難聴者と中途失聴者
聾者とは生まれながらに聞こえない、または言語習得前に耳が聞こえなくなった方の事
難聴者とは聞こえにムラがある人
中途失聴者とは言語習得後に聞こえなくなった人で難聴者と中途失聴者は手話を習得していない方が多いです。
突然自分が耳が聞こえなくなったとしたら…手話は出来ない。だから書いて伝える文字が必要になる事から難聴者中途失聴者と聾者とでは支援の仕方に違いがある事がわかると思います。